こういう薀蓄話は大好きだけど
★★★☆☆
2008-11-19
世代の違いかなぁ。
僕が歴史を勉強した昭和30年代末から40年代って、もう唯物史観を絶対視する連中なんて、そりゃ残滓ていど居るには居たが、とうに主流を外れていたんで、たいして意識させられることもなかったんだけれど、それがまだ昭和も20年代だったりすると、江戸時代に高い評価を与えようとする著者など、「フン、 プチブルめ!」と、その手の連中に苛められたりしたのかも知れないなとは思う。
が、しかし、著者が異論を称えているところの歴史観は、じつは19世紀西欧の啓蒙主義的な文明化を是とする歴史観であり、口煩く批判する唯物史観も、その範疇に含まれる1つの思潮にすぎないと云える。辛らつに江戸時代を封建社会(中世・近世=暗黒時代)と決めつけ、明治維新をして近代国民国家の成立と正当化する日本の官学アカデミズム(帝国大学などの学界)の流れを汲む啓蒙史観に対し、戦後、昭和20年代にいちじ風靡した唯物史観(反封建的=民主的)も、じつのところ、この啓蒙史観を裏っ返しにした歴史観にすぎなくて、根っ子のところにある西欧史中心主義は一緒だと理解して良い。
それにアカデミズムの学者には、衒学的な言葉遣いで論文を書く尊大な先生たちも多かったし、著者のように、ごく素朴なレベルの疑問から出発して学界に流れる通説を交ぜっ返そうとすると、たいていは「素人のたわ言」と無視されるか、ロクに説明もせず「勉強して出直して来い」と叱り飛ばされるか、どちらかなのが普通で、その点、著者のアカデミズム批判も故無しとはしない。
だが、その著者「石川英輔」氏の称える江戸時代も、本書で口を酸っぱくして批判するところの「現代人が頭の中で創作した架空の江戸時代」たる一類を免れてないといえる。やっぱり、書物で読んだ江戸時代であって、手触り、肌触り、生活感のところが、ほんとうの江戸時代とは「少しズレてんじゃないかなぁ?」ってところだろうか。
たとえば下肥のこと。無駄なくリサイクルされた一例と高い評価を与えているけれど、アレって、作物の肥料になる成分は専ら尿のほうにあるだけで、人間の大便は危険廃棄物も同然。ほんとうなら尿分のみ分離して醗酵させ農地に施すほうが遥かに効果的なんだけれど、そんな知恵を江戸時代の人たちは持ってなかったので、おどろくほど寄生虫病や消化器系伝染病(赤痢、疫痢など)が蔓延していた。山本七平さんみたいに「中性洗剤の危険性? 寄生虫の怖さに比べたら、洗剤の毒性ていど何ほどのもんだ! 」とまでは言わないけどね。でも何より、あの臭い。雨でも降ってきた日には、たまったもんじゃなかったって覚え、著者にだってあるでしょ。
着物の図柄、引用する版本の挿絵と本文の描写が違っていると指摘しているところ。手でさわってみて江戸小紋というのを確かめたことがあるなら、このモノクロの挿絵には、絵にするための誇張や簡略化があると解るはず。江戸庶民の着物というのは、遠目には、まず無地にしか見えないほど柄目が詰んで地味なのがほとんど。当時の技術では縞柄か格子柄しか織り出せなかったのと、お上が庶民の着るものまで煩く口を挟んだからで、むしろ町人たちは裏地や襦袢に凝った。浮世絵や現代のヴィジュアル効果を狙った時代劇用衣装に惑わされているようじゃ、てんで話にならない。
捕り物小説なんかの影響で、町奉行所の定町廻り同心を事件捜査に当たる「刑事」だと思っている読者が多いと思うが、幕府には、もう1つ軍事警察と言うべき目付・小十人目付・徒歩目付という系統の治安組織があって、市中巡回や被疑者逮捕は、主に、こっちの目付系統の役目だった。時代小説の世界じゃ、まるで人気がないけどね。「八州廻り」や「火盗改」は、こっちの系統に属する。
だいたい、町奉行の同心ってやつは犯罪捜査と言えるようなことは何もしやしない。
事件があっても自身番にドカっと居座って関係者を呼出し事情聴取するだけ。結果、被疑者とおぼしき者が浮かびあがると、親族か請人、町役人(ちょうやくにん=名主・大家)なんかに身柄確保を命ずるばかりで、もちろん自ら逮捕に赴くなんてことはしない。お奉行の裁きに被疑者を差出すことも、「自治」を名目(実態は請負制)にして町役人に押付けて知らん顔。彼らの実態は訴訟書類作成にあたる検察事務官というほうが、よほど当を得ている。
その他諸々幾つか。
著者のこの「大江戸×××事情」シリーズ、確かに目を開かされる点も多く、毎度、楽しみにしているが、よく研究しているなと思われるところも多々見受けられる反面、ちょっと思いこみが一面的すぎて、何か勘違いしているんじゃないかなと思う頭でっかちも、ちょくちょく目に付く。
どうです、閑を作って地域の民俗博物館を巡り実物にあたってみるとか、古老のオーラルヒストリーを聴くとかも少し試みるようにされては?





