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『亡き子へ―死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言』の写真

亡き子へ―死別の悲しみを超えて綴るいのちへの証言 若林 一美(編集)

¥ 2,520(税込)
出版社:岩波書店

心の傷に思いやりを
★★★★★
2004-05-03
“風薫る五月、どこまでもつづく青い空、一年のうちで一番気持ちのよい、楽しい季節なのに、私にはつらい、寂しい、悲しい五月です。娘が逝ったのは五月です。”
という書き出しです。私の娘も五月に突然旅立ちました。

愛するものとの別れはどのようなものであれ深い悲しみですが、子を失う悲しみは何ものにも比しがたい苦しいものです。すべての価値観は根底から覆され、すべてのものがその意味を失います。時間は止まり、光のない未来には何も見えません。

この世の不条理をただ嘆き悲しむしか術のない遺族は、周りの人々の無神経、不用意な慰め?の言葉に何重にも傷つけられます。しかも、それらの言葉は善意という仮面をかぶって容赦なくやってくるのです。悲嘆に研ぎ澄まされた感性は、その場しのぎの言葉のなかに言外のメッセージを読みとります。

「元気になって!はやくもとのあなたに戻って!」 元気などでないのです。もとの私に戻るなどということはもはやあり得ないのです。
「親が子を想うほどには子は親を想ってないわよ! 残された子を大切にね!」 私の悲嘆は不当なのですか?

「ひと月ですね! 二ヶ月経ってしまいましたね! … もう半年ですね! 長かったね、一年!」 数えてくれなくても、頭から離れることなど一日としてなく、近づくその日に怯えているのです。一年過ぎれば立ち直るにきまっているという強迫的無知!

何気ない日常の幸せを失ったものの心は微妙で、揺れています。五月はつらい季節です。「母の日のプレゼントなの!」という無意識になげかけられる言葉が羨ましく、恨めしくもあり傷ついてしまいます。
「五月の明るい光、爽やかな風が癒してくれるわね!」 その、悲しいことなど何もなかったような光、風がつらいのです。

この本には遺族の真実の心の叫びがあります。悲しみと共存するしかない人生、それでも私たちは前を向かなければならないのです。
死、ましてや子の死など想像すらしない今幸せな人が読み、少しでも共感してくれたらと思います。でも、お金を出してまで他人の悲しみをわかろうとするなどということは今の世の中無理でしょうか…

深い悲しみの共感
★★★★☆
2001-07-15
身内を亡くすことの悲しみのなかでも、我が子を亡くすという悲しみは、何にもまして深いと思う。わが身がそのような悲しみに襲われようとは思ってもみなかったが、26歳の娘を、突然亡くしてみてこの思いがなんとも回復不可能なほどのものであることを知った。

しかし、いわゆる「逆縁」といわれるこのような悲しみを持つ人は、世の中にはそれほど多いわけではないから、この深い悲しみを中々他人に理解してもらえるとは思えない。その事が、亡き娘の無念さを思う気持ちや、自らの淋しさを更に深いものにするようにさえ思う。

我が子を失う悲しみは、それが幼子であっても、又、若い盛りであっても、はたまた50代の息子を亡くした90代の母にとっても人生観を一変させてしまうほどのものである。

このような悲しみを持つ人々がその共有体験を語り合い、あるいは文集によってその思いを吐露することで、互いに慰めを得ようとする会がある。

その名を「小さな風の会」という。13年間に200人ほどの会員が24冊の文集を発行した。本書はその文集にのせられた幾つかを再録、編集したものである。

子の死に直面した親たちの悔恨、諦め、時間による悲しみの変容、家族の絆、日々の暮らしの中での子の死の受容、子の死にあたっての父の葛藤、といったさまざまなテーマで語られる親たちの思いには胸をゆさぶられる。

愛する者を亡くした悲しみ、運命の不条理に対する嘆きは深いが、一つとして同じものはない。遺された者、即ち、生きている者が、それらの不条理、悲しみをどうにか受け入れようとする思いが本書に示されているのだが、当然のことながら、それらを受け入れたり、納得することは至難である。

しかし、子の死というまれな体験をしたもの同士が、この思いは自分達だけのものではないということを知り、悲しみをわかりあってもらえる人がいるということを知ることに、いささかの安堵を感じると思う。